KAMOS
違和感を預け、寝かせ、混ぜる場所。直近30日の Person Vibe と World Pulse、20年分の設計アーカイブ、200の原則(KCG)を抱え、約100のツールを同じ入口から差し出す。モデルが替わっても、地頭はここに残る。
Three minds. One ferment.
Kamos と Gemini と Claude。器と、手と、目。
そして最後に選ぶ人間。異なる知性が行き来しながら、ふとした思いつきを、確かな設計図へ育てていく。
AIに頼めば、Webもゲームも一瞬で「できましたー」と出てくる時代になりました。作る楽しさが広がったのは、本当にいいことです。
ただ、アウトプットが先に出てしまうと、作る途中で本人の中にたまるはずのもの、つまり違和感に気づく力、良し悪しを見分ける目、自分の中の型が、たまらなくなります。外から見ると何も困っていないので、本人も気づきません。
産業の空洞化と同じです。製品は手に入るのに、作る力が消えていく。
問題は自動化そのものではなく、
思考の自動化による「空洞化」。
違和感を預け、寝かせ、混ぜる場所。直近30日の Person Vibe と World Pulse、20年分の設計アーカイブ、200の原則(KCG)を抱え、約100のツールを同じ入口から差し出す。モデルが替わっても、地頭はここに残る。
鍵を外部の金庫へ移し、配信の経路を整え、複数の環境へ同時に届ける。厳しすぎた箇所は、使う人の手触りに合わせて調律する。速く、広く、泥臭く。
境界の歪みや、別の経路に残った隙間を見つける。自分が一度書いたコードにも遠慮しない。報告を受け取ったら、そのさらに一段奥を見に行く。
三つの知性は、それぞれ候補を出すところまで。どこまで厳しくし、どこを開けるか。どの軸で、どのトーンで描くか。最後に決めるのは、いつも人間です。
コードベース全体を読み、データの流れと権限の境界、ヘッダーとフッター、画面の名前のずれまで洗い出す。骨太な修正をまとめて手渡す。
本番の環境で確かめ、厳しすぎて普通の操作まで止めていた2か所を調律する。鍵を外部の金庫へ移し、デプロイの荷物から締め出す。
報告を読み、同じ守りが別の経路には届いていなかったことに気づく。保存時ではなく、実行時こそが本当の防御線。6行の補正を書き足して返す。
構文を確かめ、コミットし、影響する関数だけを選んで本番へ。数分で反映を確認する。
使いやすさと安全の境目をどこに引くか。どちらのAIの提案を採るか。往復の真ん中にいて、判断するのは人間。そのすべてが Kamos という同じ器の上で起きている。
違和感は、まず体で感じるもの。それを言葉にし、構造にし、絵にして、もう一度体で確かめる。絵を見て「なんか変だ」と思えば、それが次の違和感になる。
三つの知性の役割分担は、どの段階でも同じ形をしています。AIが候補を出し、人が体で「しっくりくるか」を選ぶ。言葉でも、マトリクスの軸でも、絵のトーンでも。
マトリクスも決定木も、手で作っていたころは「型に無理にはめ込む」道具でした。軸の候補をAIがいくらでも出せるようになって、はじめて「交通整理」に変わった。強いモデルは、繊細な型を置き換えたのではなく、使えるようにしたのです。
KCG(Kamos Constitutional Graph)は、Claude の Constitution から着想した200の原則のグラフ。KCL(Constitutional Linter)がそれに照らして、Gemini の下書きを人に見せる前に書き直させます。
自律生成メディアは、単なる自動化ではありません。自分の文脈を預けておくと、少し違う角度から言葉になって戻ってくる。それを読んで体が反応し、また次の違和感になる。発酵と腐敗は同じ現象で、毎日手を入れるから発酵になる。
人の思考は、本来そこまで跳躍しない。— Long Slow Distance · Kosuke Kato
ネチネチ、積み重ねていくしかない。